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パラモデル 中野裕介による『レジデンス・パラ陽ケ丘』解説文

2016年2月13日(土)更新プロジェクト

パラモデル 中野裕介による『レジデンス・パラ陽ケ丘』解説文
『レジデンス・パラ陽ヶ丘』のためのプランニング|パラモデル
Courtesy of MORI YU GALLERY

『レジデンス・パラ陽ケ丘』解説文

パラモデル 中野裕介

新・福寿荘は、上町台地の中央部西端の斜面に建っています。新世界や飛田新地・釜ヶ崎など周辺界隈の、都市空間や出来事の移ろい、どこか暴力的でもある変容の波を、約60年の間、高台で静かに受け止め、耐え、眺めてきたマージナルな砦...といった面影も浮かびます。
実にこの場所は昔、今よりも大きな大阪湾を望む海際だったようです。程近くにある、日本最古の仏寺として歴史ゆかしい四天王寺は、その海に面して建立されました。中世のある時期、聖俗入り乱れた人々でごった返す寺院では、西の水平線に近づく夕陽に阿弥陀仏や西方極楽浄土のイメージを重ね、皆が海に向かって熱心に祈るムーブメント「日想観」が起こり、今の「夕陽ヶ丘」という地名のルーツとも云われます。
そんな海辺の四天王寺~河内地方が主な舞台の「俊徳丸伝説」(しんとく/信徳/身毒丸とも)という物語群があります。中世以降、説経節や歌舞伎・浄瑠璃・落語・小説や現代劇の題材として繰り返し変奏され、今もバージョンは増え続けていますが、最も古い能楽・謡曲版『弱法師』は、特に抽象的で、物語の骨格を示す、簡素な模型のようです。主人公の少年・俊徳丸は、父親の勘違いにより不幸にも河内高安の家を勘当され、悲しみのあまり盲目となり、杖をつき、乞食同然の芸能者としてよろめき彷徨ううち、ある春の彼岸の中日、四天王寺(貧窮者や病人が集う施設「悲田院」もあった)に辿り着きます。そこで偶然にも施行に来た父親と再会、様々なやりとりをし、その夜、高安の里に共に帰って行く、という筋書きです。俊徳丸は、傷みを抱えつつも何か健気で明るい印象があり、石鳥居から西の海に向かい、見えない眼や全身で、極楽浄土に見立てた夕陽の光を感じる終盤の場面では、脳内でイマジネーションを爆発、心の眼で絶景を観て、「満目青山は心にあり、おう、見るぞとよ見るぞとよ!」 と歓喜する姿が描かれます。
僕は近年、この説話に強く惹かれてきました。欠如と創造の関係性、空想の可塑性と儚さ、理想郷の模型性、他者との共立問題など、抱えてきたテーマが圧縮され、殆どパッケージされているように思えたのです。極楽 Paradise や、僕達のユニット名の頭につく「パラ Para」は、古くはインドのサンスクリット語、仏教用語に頻出し、洋の東西を問わず、様々な言葉につく接頭語ですが(梵 [Para:最高の、Param:彼岸の、Paramita:最高の智慧{波羅蜜}] 、英 [Para-:~を超えて/離れて/寄り添って] )、宗教の領域だけに収まらない、その不可思議な言葉自体に魅力を感じ、いつも遊戯的に用いています。
かの海が、今となっては立ち並ぶ建物や高速道路、電柱の海に姿を変え、通天閣はその海面から一際目立って顔を出し、あべのハルカスが更に巨大な灯台として水平線の果てをいつも望んでいる現在。新・福寿荘が佇む境界の丘、この地層深くに染み込む物語をベースに、よろぼう少年の想像力や歓喜、彼の心眼が観たヴィジョンに寄り添いながら、Paraの光を全身で感じられる部屋――そんなイメージで「レジデンス・パラ陽ヶ丘」の構想を始めました。
この部屋は少年の頭部といってもよい。彼のパラドキシカルな眼としての窓を通し感じる、夕暮れの空の光、 幻の海、かなたの眺め。傷を受肉してしまった身体の条件を、影向の光に触発された創造力で乗り越え、空想の中をたゆたう脳内遊びは、どんな立場の人間をも奥底から歓喜に誘うものにならないか?そして、この場所で起こり、幻のように消えては生まれ続ける幾つもの出来事、リアルとイマジネーションの間にある悠久の変遷をも、この海辺こそは全て知っている気がするのです。

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